モデラーの空軍基礎知識 日本陸軍戦闘機27

加藤隼戦闘隊 7

パレンバンの飛行場上空に侵入した
日本陸軍の輸送機部隊でしたが
シンガポール方面からの火災等の煙で
視界が悪く
輸送機はバラバラになりながら降下地点に侵入してきました
そこへ
15機のハリケーン戦闘機が戻ってきたのですが
輸送機を連合軍機と誤認しませんでしたが
地上の対空砲火が火を噴き
意図を察したハリケーン戦闘機は
日本輸送機部隊に襲いかかりましたが
護衛の加藤隼戦闘隊に阻まれ
二機撃墜されています
さらに
ハリケーン戦闘機は加藤隼戦闘隊に追い払われ
日本輸送機を撃墜する事ができませんでした
加藤隼戦闘隊では
護衛任務の時には
敵戦闘機を追い回すのではなく
敵戦闘機を追い払う事を重視していたそうです
日本輸送機は
そのまま全降下部隊を無事に降下させる事が出来ました
その後
地上では激しい戦いが繰り広げられましたが
日本陸軍の降下部隊は
パレンバンをの要所を確保
無事に大油田地帯を確保する事が出来ました
これで
懸念材料だった石油の心配が無くなりました


モデラーの空軍基礎知識 日本陸軍戦闘機 25

加藤隼戦闘隊5

日本陸軍 地上部隊による
シンガポール攻略は1942年2月半ばに終了
歴史を変える大勝利でした
これにより
イギリスは東南アジアにおける拠点を失ってしまいました
アメリカもフィリピンを防衛中でしたが
1942年5月半ば頃にはフィリピンを失ってしまいます
1942年1月頃手付かずで残っていたのは
オランダ領東インド(通称 蘭印 現在のインドネシア)でした
この頃
オランダはドイツに占領されて
オランダ王室は
イギリスへ亡命し亡命政府を設立していました
よって蘭印を防衛するのは
オランダとイギリスを中心にした連合国でした
蘭印は
350年続くオランダの植民地で
各種資源が豊富で特に
その中に在るパレンバンは石油が豊富で
ここを確保すると
日本で必要な石油の大半を賄うことが出来ました
そこで
日本政府は
太平洋戦争の宣戦布告の国からオランダを外し
交渉により無血進駐するつもりで
密かに外交交渉をしていましたが
逆にオランダから
宣戦布告されてしまい
オランダと戦争状態に入り
蘭印に軍を進める事になりました
ここに
太平洋戦争の最大目的の一つ
油田確保の為の戦いが始まりました

モデラーの空軍基礎知識 日本陸軍戦闘機24

加藤隼戦闘隊4

1942年1月下旬
日本陸軍地上部隊は
シンガポールを攻略すべく
マレー半島を凄まじい勢いで南下していました
そこで
日本陸軍航空隊は
1942年1月20日
27機の爆撃機を戦闘機の護衛なしで
シンガポールへ空襲を行いました
しかし
イギリス軍は中東より
当時 スピットファアと並ぶ新鋭機ホーカーハリケーンを派遣していました
この日初めて戦闘に参加した
ハリケーン戦闘機に日本爆撃機8機が撃墜されてしまいました
そこで翌日
加藤隼戦闘隊が出撃
ハリケーン戦闘機3機撃墜
敵戦隊長と編隊長機を撃墜しています
この内の1機は加藤戦隊長の戦果です
しかし
隼を1機失っています
これで
隼は
イギリス空軍の一線級戦闘機部隊と交戦しても
遜色無くむしろ優勢である事を証明しました


モデラーの空軍基礎知識 日本陸軍戦闘機23

加藤隼戦闘隊 3

マレーシアのコタバルへ上陸した
日本陸軍 陸上部隊は
怒涛の勢いで南下
一路シンガポールを目指していました
その勢いは凄まじく
1942年1月下旬には
シンガポールを対岸に見る
ジョホール水道に到達していました
ここから
イギリス軍を中心とする連合国軍と
日本陸軍地上部隊の間で
シンガポール要塞を巡り激しい戦闘が繰り広げられるのですが
それは
また別の機会に
この様に
シンガポールに迫った日本軍からシンガポールを守るために
イギリス首相チャーチルは
バトルオブブリテンで活躍するした
ホーカーハリケ戦闘機とベテランパイロットをシンガポール防衛に派遣しました
ここで
初めて
一式戦闘機隼が
当時第一線級の連合国側の戦闘機と戦闘をする事になりました

ここでちょっと小ネタ
戦闘機と聞くと 攻撃兵器!
てなイメージがありますが
当時は
戦闘機=防御兵器のイメージが強かったようです
戦闘機はあくまでも
攻撃しに来た敵機を墜とす防衛兵器
との解釈だったようです
あくまでも
敵を攻撃し壊滅させるのは
大量あるいは大型の爆弾等を積める爆撃機だけでした
しかし
現在では
マルチロール機が主体となり
戦闘機と爆撃機の境が曖昧になり
戦闘機=防御兵器のイメージは
薄れてしまったようです



テーマ : ホビー・おもちゃ
ジャンル : 趣味・実用

モデラーの空軍基礎知識 日本陸軍戦闘機22

加藤隼戦闘隊 2

太平洋戦争での一式戦闘機隼の活躍は
海軍の零戦より1日早く
開戦1日前
1941年12月7日に任務についていました
とうじ
日本陸軍は
マレーシア半島とシンガポールを攻略するために
マレーシア半島の真ん中ベトナム側に在る
コタバルに上陸を予定していました
その為
日本陸軍 山下兵団は南海島(ベトナムの北東)に集結
1945年12月7日夜
山下兵団を載せた船団は
コタバルに向け進行していました
船団がコタバルへ近づくと
イギリス空軍の夜間偵察機に発見れ
夜間爆撃を受ける可能性がありました
その為
船団護衛の防空任務についたのが
飛行第64戦隊 加藤隼戦闘隊でした
加藤少佐以下7機をもって
夜間 悪天候 長時間の任務を無事遂行しています
これは
加藤隼戦闘隊の練度の高さを物語るもので
当時全天候型の単座戦闘機は存在せず
ましてや
機上レーダーやGPSも有りません
その中での任務でしたので
いかに練度が高かったのか分かります
また
夜間に戦闘機を護衛に付けるほど
日本陸軍はこの船団を重要視していました
翌日
1945年12月8日
日本は米英豪蘭と戦闘を開始しました

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イワークン ジーク

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